何故郷秀樹には
変身アイテムが無いのか
・ベーターカプセル、ウルトラアイ、ウルトラリング等々、ウルトラマンに変身するアイテムは様々ですが、
『帰ってきたウルトラマン』で郷秀樹がウルトラマンに変身する際、
特別な変身アイテムはありません。
・郷が変身する為の条件は、一言で言うと
「生命の危機に陥ったら」なんですが、この意味を深読みすると、
ウルトラシリーズ全体に通じる凄く大事な話に辿り着くと考えています。
・『帰ってきたウルトラマン』第1話、怪獣から子供を助ける為に
自分の生命を犠牲にした郷秀樹の勇敢な行動に感動したウルトラマンジャックは
彼と一体化し、彼らは地球の平和の為に戦っていくことになります。『シン・ウルトラマン』でリピアが神永と融合した理由は、
「不慮の事故で生命を奪ってしまった」という点では初代を踏襲していますが、
動機としてはこちらの要素が色濃く反映されていると言えます。
・ちなみに「アートワークス」で庵野はこの点について言及していませんが、
『帰ってきたウルトラマン』が一番好きと公言している以上、
「気付かなかったてへぺろ」では許されないレベル。それとも
「厳密に言えばセブンのミラクルマン精神」とでも言い逃れるつもりか。
・話を戻しまして、ジャックと一体化して生き返り、その後「怪獣攻撃隊MAT」の一員となって平和を守って行こうとする
郷が「生命の危機に陥る」シチュエーションはどんな時かと言えば、基本的には
「怪獣や宇宙人と戦うも力及ばず絶体絶命」な状況です。
・これは
「郷秀樹=人間が精一杯頑張っても尚力及ばない」という状況になって初めて、
ウルトラマンが現れて人間を助けてくれるという構図になっているのです。
・『ウルトラマン』の「小さな英雄」でイデ隊員は、「ウルトラマンが現れて怪獣を倒してくれれば、
自分達は必要無い」と無力感を嘆くものの、その後のジェロニモン率いる怪獣達との戦いの中で
ピグモンの「自分に出来る事を生命を懸けて精一杯行う」姿を見て、ウルトラマンをアテにするのではなく
自分は自分として出来る精一杯の事をするんだと決意を新たにし、
人間の英知の結晶である新兵器スパーク8で再生ドラコとジェロニモンを倒す活躍を見せます。特にジェロニモンについて、ウルトラマンが敵を抑えつけている間にイデ=人間がトドメを刺すという
「ウルトラマンと人類の共闘」という構図は象徴的です。
・「怪獣はウルトラマンが倒してくれる」「何かあってもウルトラマンが助けてくれる」と
ウルトラマン=超常的な力をアテにするのではなく、
人間は人間なりに最後まで諦めず努力をし続ける事が大切で、そうして
人間が限界の限界まで至った時に初めて、ウルトラマンという神は人間を助ける為に現れてくれるのです。余談ですが、
『ウルトラマンガイア』の主題歌は正にこのテーマを歌っています。
・『シン・ウルトラマン』でもあったように、当事者でも無い限りウルトラマンの力が
アテに出来るなら最大限利用したいと考えるのは
特別おかしな発想では無い思います。でも、
本当に大切な事はその先にあるんだと気付く事こそが、
「ウルトラシリーズ」に触れた人間が辿り着くべき真理だと思うのです。
・このテーマは「小さな英雄」以降も、地球は人類が守っていくという姿勢を直接的かつ
必要以上にトラウマ的内容で示した「さらばウルトラマン」を始め、『シン・ウルトラマン』に至るまで
綿々と示し続けられてきた「ウルトラシリーズ」の核の中の核の部分と言えます。
・だから私は、郷秀樹が
自由にウルトラマンに変身出来るアイテムを持っていないのは、
とても大事な事を示していると思うワケなんです。
サブタイで馬鹿にされる『ウルトラマン80』の最終回ですが、昭和のウルトラTVシリーズがああいう話で終わったというのは、
今から思うと実に感慨深い話。
・しかしながら、ウルトラマンを登場させる為に
「その都度郷を絶体絶命のピンチに追い込まなくてはいけない」という条件は
作劇上の不自由さになる為、後半に行くに従って郷が
変身しようと思ったらすぐ変身するパターンが段々増えて来ます。最終的には「郷秀樹とウルトラマンの
精神が一体化したのでいつでも変身が可能になった」みたいな
都合の良い話になりますが、まぁ現実的にはそういう事でしょう。
・変身ギミックの条件付けは、
作劇上のアクセントにもなりますが、同時に
不自由さにも繋がるワケで、それは
次の『ウルトラマンA』にも当てはまります。北斗と南の二人で合体変身がウリとして始まり、最初は結構ちゃんとやってたのに
(アリブンタとか好き)、物語が進むに従って段々
強引なパターンが多くなり、最後は
「夕子は超獣ルナチクスに滅ぼされた月星人の生き残り」「月星人文明再建の為に冥王星に旅立つ」という唐突かつ衝撃的な展開で主人公を北斗一人にするという
荒業に出ました。
・
「男女合体」というのは意欲的な仕掛けとは思いますが、作る側が毎回それを活かすのは大変だろうし、そうなると視聴者側にも
メリットよりデメリットが多くなるとなれば、仕方ないっちゃ仕方ない。
ウルトラマンに新たな風を注ぎ込んだ功績は評価されてしかるべきだと思いますが、それはまた別の話。あと、ウルトラマン80の教師設定は、
数十年経って大感動エピソードに消化されたのでまぁいいでしょう。
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